第274号 3月4日
今は小さな差でも
この間の函館新聞に、かつて私がいっしょに渡島視聴覚教育研究会でお仕事をした坪川校長先生が、現役校長時代のことをまとめた「新米校長奮闘記」という本を出版されました。今途中まで読んでいるのですが、こんなことが書いてありました。
教員になりたての時の一年で先輩が厳しく勉強する環境にいる先生と、ぬるま湯状態にいた先生では、一年経ってもそんなに大きく差が出ない。三年、四年経っても差は大きくはない。でもそれが十年、二十年と経てば、差は歴然としてくるということです。自分自身も、今振り返りもっと若い撃ちに勉強しておけばよかったなあと思っています。
さて、子どもたちと過ごすのもあと十二日です。(16日はたいへん申し訳ありませんが、末娘の卒業式でお休みをとらせていただきます)子どもたちは一生懸命勉強しました。いろんな経験をし、いろんな成功をし、そしていろんな失敗をしてそこから、人生の厳しさ、喜びを感じ取って来ました。
お勉強では、家庭学習の習慣をつけるため、たくさんのプリントを出しました。レギュラーなものとしては、百ます、日記、漢字、そしてプリント一枚ないし二枚です。こんなに多くのプリントを配り続けたのは、私の教職経験で低学年、高学年、そして中学校を通してでも初めてでした。むちゃくちゃな枚数だったのかもしれません。
それにも関わらず、日記を一日も休まず綴り続けた子が数人います。さらに、私の出したプリントの全てをやり切った子どもも何人かいます。本当にすごいなあと思っています。そして、それを支えてくださった保護者の皆様にも感謝いたします。これだけやるのは並大抵なことではなく、その一部を有効に使っていただいても十分だと思います。子どもたちの実態に合わせて使っていただければと思います。
さて、最初の話に戻りますが、日記を続けた子とそうでない子では、作文力の差は確かについています。でもまだ小さいです。でもこのまま卒業まで書き続ける子と、そうでない子では、大人になった時、ものすごい差になることは歴然としています。大人は作文を書くっていうことはそんなにないかもしれません。でも、何度もお話していますが、書くことは考えることです。物の考え方に大きな違いが出てきます。物事をいろんな側面から考えることができ、それが正しいのか、場合によっては正しいのか、良くないのか、じっくりと考えることができるようになります。
その他の計算や漢字、プリントなども、小さな知識の積み重ねになります。知識の積み重ねによって、それが実生活で物事を考える根拠になり、それが知恵になっていきます。上っ面のやりたいやりたくないでなく、それが社会のため、自分のためになるのか、深く考えることができる基礎となります。
二年間子どもたちとつきあって、こんなによくがんばったなあという子どもたちが多くいます。しっかりと学力や行動力もついてきています。家庭での協力が目に見える子どもたちがいます。その一方、まだまだ勉強をすれば力が付くのになあとちょっと残念かなあと思う子どももいます。私自身も伸ばしきってあげられなかったなあと思うことがあります。
二年が経ちましたが、まだ子どもは小学生。小学生のうちにしっかり勉強するかどうかで、中学校でがんばりが持てるかが決まり、それが高校につながっていきます。
今、子どもにつらい思いをさせると感じるかもしれませんが、しっかり机に向かわせるのが親の大切な子祖だとの仕事です。子どもが中学生になったら、お子さんの勉強をみることはあまりなくなると思います。お子さんが小学校のうちです。子どもたちが大人になった時、まわりより大きくなった自分に気づき親に感謝する時が来ると思います。