第206号 12月4日

 休み時間の様子

 この所、寒かったり、また寒さが緩んだりという日が続き、子どもたちは、外で遊んだり、中で遊んだり、それぞれの過ごし方をしています。
 「逆上がりをがんばるぞ。」って自分をちょっと演技してみせて、外でがんばりを見せてくれている子もかわいく思います。また、サッカーでちょっとどろんこのグラウンドをかけ回る男子たち。そして、ホールでオセロをする子ども。教室でピアノを弾く子、絵を描く子、本を読む子、そして12月から室内遊びが始まって、今日は野球盤も登場というところです。そして、今日はとっても楽しそうに学校中をかけ回って、目と目が合う度に、「廊下はちゃんと歩けよ」と言われながら、男子も女子もなく仲良く遊ぶ子どもたち。
 私、見ていて、子どもたちの精神状態がとっても健康かなあっていう気がします。
私は、今でこそ、図々しい振る舞いをしていますが、それはもしかして「演じて」いるのではないかと時々思うことがあります。
自分が高校の時は、部活の無線部が高校生活の命だったわけですが、クラスの中では友だちが多い方ではありませんでした。休み時間や自由時間がいやでした。勉強時間は先生の方に向かって勉強しているから、友人関係のことを考えなくていいから楽なんです。休み時間になると、遊びに行く子、図書館に行く子、お友達とぺちゃぺちゃする子など様々です。私は本を読んでいることが多かったかな。と言っても本を読むことがすきなわけではないのです。本を読んで自分の時間を楽しんでいるふりをしていたに過ぎなかったと自分を振り返ります。今でも全く新しい人の輪の中に進んで飛び込んでいくのは、すごく不得意ですが、仕事柄、自分を演じてしきりをしているようなところがあります。
 話は自分の教え子のことに変わりますが、たぶん私の一番最初の教え子の話は何回かしたと思いますが、静内の町から13キロの山の中で育った20名の子どもたちと、22歳の私。今でも交流は続いていますし、子どもたち同士も、静内、札幌、苫小牧、様似など暮らすところは離れ、様々な仕事をしていますが、堅い友情で結ばれています。結婚式や同期会などでは半数以上が集まり、心は五年生の時に戻ります。
 子どもたちはまだ8歳。でも幼なじみほど、大きくなって、仕事や社会的地位や貧富の差や、すべての事に対して、何の気兼ねもなく、友情を分かち合える仲間です。
 誰とでも遊べる、誰が困っていても手をさしのべられる、そんな友情がずっと育ってくれるように願っています。
 今日の休み時間、私にお目玉をもらいながら、男の子も女の子も楽しそうに校内をかけ回り、楽しそうに笑顔一杯の顔を見て、いつまでも友情を大切にできる集団になるんじゃないかなあとふとそんなことを感じました。