第199号 11月27日
給食台の上の牛乳パック
何度かこの話題でお話しましたが、なかなか解決しません。今日の給食で、ごちそうさまをして、食器を全部下げて教室に戻ると牛乳パックが3個、あげパンが2個、配膳台の上に乗っていました。誰かが自分の机においたというものです。
水曜日なので、全員掃除ですが、子どもたちをきちんと座らせて、心当たりのある人は片つけるように指導しました。多くの目があるせいでしょうか、名乗りでる子はいませんでした。「明日から二度と同じようなことがないように。」と指導しました。その後は、さっと気の付く子が洗って始末をしてくれました。
その時に、子どもたちにお話したのは、きまりを守らないと管理が厳しくなるということです。牛乳パックに必ず記名させるとか、水飲み場のところに係が立ってもらって、洗ったかどうかをチェックしたり、そんなことをしなければならなくなりますぞ。と。そんなバカみたいなこと、先生はやりなくないよ。と。
今日の指導が心にとまったかどうかは明日の動きが勝負です。
考えてみると、大人社会も、決まりを守らないから厳しくなっているっていうことが多いのではないでしょうか。車のスピード取り締まりなんかも、みんながスピードを守れば、取り締まることもないのになあと思います。
子どもたちの遊び、本当にこれでいいのかと思う時があります。
子どもたちの作文や話を聞いていると必ずと言っていいほど、ゲーム(いわゆるDSとかPSなどの電子ゲーム)の話題が出てきます。正確な実態こそ把握していませんが、ゲームのない家庭の方が少ない状態にあるのは間違いないと思います。
私は、このゲームをしている時間が、子どもたちにとって価値あるものである側面と、害になる側面とを考えると、後者に軍配を上げます。ご家庭の皆様はいかがでしょうか。
どうしてこんなことを急に書くかというと私の大学の授業で、「近くの人と相談したり、教え合ったりしてもいいですよ。」という指示をしました。顔なじみでないと、声をかけたり、相談したりすることが少ないのです。同じ授業を受けている仲間なのですが、「ねぇ、どうなりました。」などともっともっと声をかけていいはずなのですが、妙に相談の時間もシーンとしているのです。
子どもの遊びが個別化して、人間関係を作っていくのが非常に苦手としている若者達が多いのではないかと思いました。それがさらに、他人への関心が薄れる、また無関心になることにつながっているのではないかということです。
遊びの変化、人間関係の樹立の甘さを直接ゲームに結びつけるのは危険があるかもしれませんが、まんざら外れていないような気がします。
私の思いですが、友だちが集まって遊ぶ時は、個人が自分のゲーム機で遊ぶようなことはやめさせませんか。外遊びや室内でもすごろくや人生ゲーム、オセロ、カルタ、トランプなど円くなって遊べるようなものを与えませんか。また、家に帰ってからも、ゲームはせめて一日一時間程度にして、家族と関わりを持つ時間にしませんか。学年が大きくなって自分の部屋を持つ(うちの子は、小さい時教員住宅で三つの机が並んでいたので個人部屋はなく、それが良かったと思っています)と食事以外出てこないのが世の常なるものです。また、一人で過ごす時間としても、本を読むとか、工作を作るとか、絵を描くとか、ピアノを弾くとか、クリエイティブなことに取り組ませることを大切にしていきませんか。
子どもたちが世の中に出た時、黙っていても人が寄ってくるような人間的魅力のある大人に育てていくために、今、何が必要か考えていくことが大切ですね。