第161号 10月16日
何のために走るのか
体育の日にマラソンに参加したお話はこの間いたしました。
学校にちらしが来た時、子どもたちにも「いい機会だし、1キロだったら、みんな間違いなく走れるから、おうちの人と相談して、できたら参加するといいよ。」と声をかけました。「先生は?」と言われる前に、「先生も出るからね。」と宣言しました。うちに帰って妻も引っ張り出し、二人で申し込みました。
小学校の時からいつも、「回れ右をしたらいつでも一等賞」の私でスポーツには縁がなかったわけで、五キロなんて走ったことがありませんでした。市の日曜マラソンは二キロで、それだったら何とかという程度でした。
ネットで地図を開いて、五キロコースを模索しました。家から、鹿島橋に出て、大野幼稚園を通って、バイパスに出て、農協スタンドまで行って、大野十字街を過ぎて、大野橋を渡って、ソフトクリーム屋さんのところを通って、鹿島橋を渡ってすぐ入ってきて、ちょうど五キロでした。
申し込んだ次の休みの日の朝早く、二人で走りました。何とか駆け足で歩かない程度で38分かかりました。汗だらだらです。それでも「走れた」っていう満足感はとっても大きいものでした。次の練習の時は、一人でちょっとがんばって30分ちょっとでした。自分にとっては、一周してきた時、ぶったおれそうな位苦しい状態です。でも、五キロは休まないで走れるんだという自信はついてきました。走り終わってから、食べる朝ご飯のおいしいことおいしいこと。
走っている時って、体はフル稼働ですが、頭の中は暇なので、いろんなことを考えます。学習発表会の事、今日はどこの草を刈ろうか、そして、いつも考えるのが、「何のために走るんだろう。」っていうこと。走り終わった時こそ、「走ったー」っていう感じはありますが、走っている時は、「走るのが快い」っていうのはほとんどありません。農協スタンドから大野橋を渡るあたりまでが、一番苦しいところ。いつも大野橋の手前で橋を渡るか右に曲がるか葛藤がありますから。
こんなことをあれこれ考えながら、大会に出ました。私は地域に根ざした教員でありたいと思っていますから、なるべく地域の行事には参加するようにしていて、今回も、「まあ、何十人かいるんだろうから、目立たないだろう。」と思っていました。ところが、名簿を見ると申し込んだ人は三人。「ぎゃー」ですよ。たぶん走り込んでいる猛者で、何か場違いなことをしちゃったかなと思いました。
一般男子は、最後の種目だったので、走り終わった人はだいぶ帰ったのでちょっと気は楽でしたが、まあ、自分のペースで走るしかないと思って、早そうなおじさまたちと一緒にスタートしました。タイム宣言の方と招待選手も一緒で六人で走りました。私の前を走っていた方は、レベルが違う方で、すぐ私の視界から消えてしまいました。周回の二周目ぐらいで、ペースの落ちた一人を抜いて、何とか三位に食い込むことができました。
走っていて嬉しかったし、励みになったのが応援です。走り終わった中学生になった卒業生たち、そして、私の二年生の子どもたち。そして沿道の見知らぬ人たち。応援の力ってすごいなあと思いました。いっぱい応援されたもので、いつもより本気が出たみたいで、練習より5分時間を短縮することができました。賞状を待っている間、一緒に走った方と、マラソン談義。表彰では、審判長で私の恵山時代の校長先生より賞状とメダルをいただき、がっちりと握手をさせていただきました。
今、「何のために走るの?」って聞かれたら、「自分に自信をつけるため。」って答えます。五キロも走り続けるなんて考えられなかった私が、休まないで走れるようになって、しかもおまけに生まれた初めてスポーツで賞状をもらったんです。この年になっても、「やれば、できる。」って自信がつきました。
子どもたちにも、今回のマラソンもそうですが、いろんなことに挑戦してほしいです。チャンスは、あちらこちらにころがっています。何かに挑戦して、それができたら必ず自信につながります。できるかできないかわからないことも、やってみなければわかりません。成功体験は人を強くします。また、やってみて失敗するかもしれません。でも、それも次への再チャレンジのバネになります。山を越えることを避けてばかりの子は、やはり打たれ強い大人にはなれないと思います。
子育ては、やり直しが効きません。どうぞ、子どもたちに、スポーツでも文化的なものでも、子どもの目がきらっと光ったものに挑戦させる親であっていただきたいなあと思います。