第59号 5月23日
やったことの責任をとる子に育てたい。
今日は、朝から気分が滅入ってしまいました。教室にあったタンバリンの皮に「○○○しね」、教室の教師用机の隅に「しねよ」と赤で書かれていました。おそらくお子さんから話は聞いたかと思いますが、○○○にはクラスの女の子の名前が書かれていました。
書かれた子どもも、全く心当たりがないということでした。
私は、子どもたちに、こんなふうに書かれたらどれだけ傷つくか、まして、それが誰が書いたかわからないという状況では、どれだけ悲しい気分かを訴えました。
また、書いてしまった子も、深い意味がなく、単なる遊びのつもりだったのかもしれません。でも、たった五文字でも、相当に仲間を傷つける結果となってしまいました。だから、自らやったことを名乗り出て、きちんと自分のやったことの後始末をしてほしいことを訴えました。このままでは、家に帰っても、ご飯ものどを通らないでしょうし、きっと夜も寝られないんじゃないでしょうかと、心配です。
書いてしまった子も、書かれてしまった子も、その子が大人になっても、小学校二年生の時の思い出したくないいやな思い出として一生引きずっていくことになってしまいます。
残念ながら、名乗り出てくれる子がいなかったので、全員の国語のノートを集めて、字の書き方が似ている子のものがないかを調べさせていただきました。字が似ているようなノートもありましたが、確信は持てませんでした。
私は、もう一度、子どもたち一人一人と面談して、手がかりがないか聞きました。しかしながら、帰るまでに名乗り出る子どもはいませんでした。
子どもたちは、「誰だろう。」ということを気にしていましたが、私は、誰がやったかということより、その子がきちんと責任をとれないで、このままいやな気持ちをずっと持ち続けて大きくならなければならないという辛い思いをさせたくなく思っています。ここで、きちんと名乗り出て、本人に謝って、解決したいと思っています。つまり、個人的には当然謝罪はさせますが、あとは、誰がやったかということはオープンにするつもりはなく、子どもたちには、やった本人からきちんと謝ってこの問題は解決したということを報告する形で治めたいと考えています。
各ご家庭におきましても、「まさか」というところもありましょうが、「もしや」という意識も持っていただき、お子さんと、お話する機会を持っていただければ幸いです。
子どもは、誰でも、いろんなところでたまったストレス(家庭のこと、学校のこと、友人関係のことなど)で、思いもよらない行動を起こしてしまうことがあります。今回もそんな一つの現れなのかもしれません。私自身も日々の学級経営を振り返り、保護者の皆さんも、日々の忙しい中でしょうが、お子さんに悪い意味のストレスがかかっていないか、お子さんの話を聞いてあげているかのコミュニケーションなどについて振り返る機会としていただければ、幸いです。
明日、友人関係などもう一度子どもたちに、手がかりはないか、聞いてみたいと思います。
何とかみんながすっきりして、週末を迎えることができれば幸いです。