第44号 5月9日
人が嫌がる仕事をする
給食時間の後始末の時でした。昨年度末から、食べ終わった食缶や食器などは、学級ごとに一階の配膳室まで下げることになっています。階段を降りるということもあって、返却時は必ず学級担任が引率することになっています。給食当番+@で、食器を下げる時、教室に残っている子どもたちに「あと、頼むねー。」と一声かけて出かけます。
戻ってくると、最近は、だいぶよくなってきました。給食台、牛乳パックなど、乱れていることも少なくなりました。この間も子どもたちにちょっと話した「落ちているもの」、「こぼれているもの」がもうちょっとかなーというところです。
さて、配膳室に下げるのが終わって、私が教室に戻ってきた時のことです。「まだ、ゴミがちょっと落ちているねぇ。」と子どもたちに気づきを促しました。子どもたちは、自分の身の回りにゴミが落ちていないか再度点検しました。私は給食台の下のこんにゃく数本落ちているのに気付きま下ので、給食台をちょっと寄せて、子どもたちに気づきやすいようにしました。こんにゃくの周りのごみは拾うのですが、こんにゃくにはなかなか手が出ません。子どもたちにとって、生ゴミは、ふつうのゴミよりもきたないイメージのようです。何人かが見て見ぬ振りをしているのを私はわかっていましたから、「まだ、落ちているんだよなあ。」と言いました。ちょっとの間、私がこんにゃくに向ける視線、その視線を見て、こんにゃくに目を向ける子どもたちの視線。動きがあったのは、W君、D君、S君。拾ってゴミ箱に捨てました。「三人、ちょっと来なさい。」私がもったいぶって呼びました。神妙な顔をして前に並びました。「あんたたち、偉い。みんなが気づかないふりしていたのに、よく拾ってくれたね。人が嫌がるようなことをするってとっても偉いことだよ。ありがとうね。」ってほめてあげました。私は真顔で呼んだので「おこられるのかと思ったよ。」って後からニコッとしてくれました。
そう言えば、今朝の散歩で歩道上に犬のでっかい糞があって、「どうしようかなあ。」と思いながらも、通り過ぎてしまった自分がいました。子どもたちに指導しながら、自分の朝の出来事を思い出し、自分もまだまだ修行が足りないなあと思いました。
誰もが敬遠するような仕事で、誰かがしなければならない仕事って結構あると思うんです。身近な例をあげれば、町内会のゴミステーション。中や下が乱れていて、長いことそのままになっていることないでしょうか。お父さんお母さんが、さっと後始末したら、子どもの心にしっかりと、一つの膳の心が育つと思います。「育てたように、子は育つ。」学校では、私が、そして、ご家庭では、保護者の方々が率先して、いいことを進んでやって、子どもたちの心を育てていきたいですね。