第256号 3月14日

 見て見ぬふり

 給食にまつわる話はこの一年でもずいぶんたくさんでました。最初のころ、私が手取り足取りやっていたものも、今では、急用ができて教室を開けても、子どもたちでちゃんと「いただきます」をして食べるまで成長しました。
 その一方、後始末については、いまいちなところがあります。2・8の原理(2割の人が全体を動かす)については前にもお話しましたが、気の利く子がたくさんいますので、多少乱れても、ちゃんと後始末がきれいにできます。それでも、今日はちょっとそういかなくて、子どもたちに全体指導をしました。
 その前に今週試験的にですが、全校的に下膳は、各学級で配膳室に戻すということをやっています。今までは食缶を台車に乗せて配膳室に持っていけばそれでおしまいだったのですが、担当の児童の相当の負担を考慮して、自分で食べたものは自分で最後まで始末するという原点に戻して、やってみているわけです。
 そのようなわけで、食缶を運ぶのに6〜7人必要で、一列になって配膳室まで誘導しています。給食当番が5人なので、自主的に手伝ってくれる子がいます。給食台もだいたい、誰かがふいてくれます。私は、自主的に動く子を育てたいので、誰にも名指しで頼むことはしていません。
 今日は運搬はよかったのですが、給食台と床がよろしくありませんでした。教室に戻るとその状態。さらに、「先生、昼休みは、まだー?」って来たので、ちょっとカチンと来て、子どもたちを座らせて話をしました。まず、子どもたちに何がよくないのか、発表させました。給食台、床、牛乳パック、遊んでた、いろいろ出ました。私は、黒板に、「見て見ぬふり」と書きました。何人かがこの言葉を知っていました。気づいのに、知らん振りをしてほしくないということを訴えました。特にきたないもの、いやなものに対しては、その傾向があります。今日はラーメンでその汁をひっくり返した子がいました。ひっくり返すのはしかたのないことで、拭けばいいのですが、拭いてもまだベトベト状態でした。子どもたちに指導した後、ごみ拾いもしながら、徹底的に子どもたちは床を拭きました。
 「見て見ぬふり」一度もしたことがないと胸を張って言える人はいないと思います。私は、同じ仲間であるこの子たちの間には、できるだけ、見ぬふりをすることなく、積極的にかかわって、積極的に優しさをふるまってほしいと思います。掃除が終わって、最後に私は子どもたちにそんな言葉をかけました。

 算数、教科書最後の問題を解いて、元気よく手をあげる子どもたち。ちょっとやらせっぽいかな。