第231号 2月21日
筑波の子の宿題
一年生の授業を見ていると、国語のワークの宿題あり、授業で考えてくる課題ありとだいぶ宿題のオンパレードのようです。小学校でも教科担任が多いので、それぞれの先生が宿題を出すとすると相当の量になりそうです。子どもたちは、先生が「宿題。」って言うと、「えーーーっ。」と声をあげます。先生は、「ずいぶん喜ぶなあ。」とちょっとからかいます。子どもたちは、「えーっ、喜んでいないんだよ。」と答えます。それでも子どもたちは、たぶんしっかりやってくるのだと思います。
大野の子はどうでしょう。私は宿題にはしませんが、かなりの学習課題を出しています。出したものは全て必ずやってくるという子が半数少しいます。すばらしいことです。これだけやったら、たぶん筑波の子並の家庭での勉強量になるのではないかと勝手に思っています。
更に昨日から、漢字のプリントを増やしました。漢字の練習が不足しているとこのところずっと思っていたからです。漢字はこうしました。次の日にやる問題(国語の時間の最初に二、三分時間をとって毎時間必ずやることにしたいと思っています。)とその答えを前日に配ります。子どもたちはそれを家で目を通してきて、次の日にテストに臨みます。家でやってくれば出る問題はわかっていますから、点数を取ることができます。やる時間がなければ、実力でがんばるしかありません。一日目の今日は、子どもたちに家での学習状況を尋ねてみました。◎〜家でしっかりやってきた。17名。○〜家でちょっとだけやった。2名。△〜家では勉強しなかった。5名。
という結果でした。
子どもたちには、家庭での生活のしかたがあり、子どもたちの力の差があります。保護者の考えもいろいろあろうかと思います。したがって、一律に全ての子どもたちに全てをやりきるような課題の出し方は、難しいものと思います。その一方で、やる実力があるにもかかわらず、プリントの提出が芳しくない私が思うお子さんもいます。また更に、わからない中もご家族の皆さんのご協力により、仕上げて、プリントを提出するがんばり屋さんもいるのも事実です。
崩れた学習習慣を元に戻すのは、大変エネルギーが必要となります。今、勉強が楽しい、学校が楽しいというこの時期にしっかりとおうちでの勉強習慣をつけておくことを大切にしていただければと思います。
高校に入ると、家で全く勉強しない生徒と、放課後は塾、そして家での猛勉強する生徒という二極化進みます。勉強しないのが悪くて、いっぱい勉強するのがいいのか、そしてそれが人の生き方としての幸福論に結びついていくかまでは論じません。しかし、人の生きる上で必要な知性を身につけるためには、学校での基礎的な勉強のその重要な一端を占めていることは自明であります。
繰り返しになりますが、どうぞ、学校からのプリントをお子さんの実態に合わせて有効にお使い下さい。
子どもたちの作文から
きょう、ママとぼくでおうちをつくりました。ベッド二こは、おりがみでつくりました。まどといす二ことじゅうたんとテーブルもおりがみでつくりました。ダンボールでつくりました。たのしかったです。ママにじゅうたんとまどとテーブルをやってもらいました。いすもやってもらいました。もう一このベッドはぼくがおりがみでつくりました。
きょう、サッカーの練習をやりました。ぼくは、トップでした。1点をいれました。5チームでやりました。たのしかったです。
きょう、おかあさんとおねえちゃんとおひなさまをかざりました。わたしはていねいにやりました。おねえちゃんは、あんましやりませんでした。おひなさまはかわいかったです。おかあさんは、「さきに女の子がうまれたほうにおひなさまをあげる。」といいました。