第225号 2月18日
自信を持たせること
東京研修一日目の2時間目の授業三年生の国語、「百万回生きたねこ」のお話はこの間ちょっとしましたが、その問いの後に子どもが「語り」をしたのです。ねこが白いねこに出会って、二度と生き返らない最後の場面までを、子どもたちは、聞いている人に語りかける場面がありました。
ステージの上で授業を受けていた子どもたちは、階段を降り、通路までびっしりになった参加者達の間をかき分けるように、あちらこちらに散らばり、講堂の前の部分にいた先生方の目の前に立ち、それぞれに自分の前にいた先生方に語りました。これが、暗唱じゃないんです。語りなんです。聞いているお客さん達の目を引きつけ、一言一言に感情を込め、十分な間合いを取って語ってくれるのです。私は比較的早く行ったので、けっこう近くで子どもの語りを聞くことができました。それが、こちらが身震いするくらい伝わってくるのです。じっとこちらに目が向いた時は、こっちがドキドキしてしまいました。しばらくすると、あちらこちらで、拍手が起こりました。子どもたちは、それぞれの場所で語りが終わると、「聞いて下さり、ありがとうございました。」と深々と頭を下げてステージの上にまた、人をかきわけて、戻っていきました。
最後に、先生から指名された一人の女の子がステージの上中央に立ちました。講堂は、かなでーるの小ホール位の大きさ。そこに、ステージ前や両そで、通路など、ありとあらゆる場所にびっしりと人がいるという状況を想像して下さい。そこでその女の子が、「あるとき、ねこはだれのねこでもありませんでした。(間)のらねこだったのです。…」と始まりました。もちろんマイクなしです。声は普通の大きさです。会場にいた二千人近くの先生方は、おしゃべり一つ、物音一つ立てず、静まり返っていました。そして、最後の「ねこは、もう、けっして 生きかえりませんでした。」で大きくお辞儀をすると、会場からは割れんばかりの大きな拍手が沸き起こりました。授業の反省で、その先生は、「先生方にはこんな言い方は悪いかもしれませんが、こんないい機会を使わせてもらわない手はありません。」とお礼を言ってくれました。さらに「小学校三年のこの時、これだけの人の前で語ることができたということは、この子たちにとって、絶対に大きな自信になります。」ともおっしゃっていました。
確か春頃に「不安と安心」っていうような話を書いたような気がしますが、子どもたちには、ドキドキするような緊張の時間を作ってあげるっていうことはとっても大切なことだと思います。学校でも、日々の授業での発表、学習発表会や運動会など様々なところで、子どもたちに人前で何かやってそれをクリアしながら、一回りずつ成長する指導をしています。
子どもたちを成長するチャンスっていうのは、いくらでも転がっていると思います。お稽古ごとの発表よし、スポーツでの大会出場よし、コンクールへの応募よし。ご家庭でも、お子さんの持っている才能をあれこれ、発掘しつつ、それを磨き、開花する時と場を子どもに提供していくことも親の大切な役割なのかもしれませんね。
子どもたちがドキドキして、何かをやり遂げて、そして一皮むけていく。こういうつらく厳しいけれども、経験を多く積んでいくと、何が来ても、「私やってみる。」と言える自信を持った子に育っていくのかなあと思います。
今でも、「ねこは もう、けっして生きかえりませんでした。」とその目は私の耳と目に焼き付いています。