第216号 2月6日
Tの決断
ちょっと前のことになりますが、T君の男らしさを感じたことがあったので、それを振り返らせて下さい。
冬休みの自由研究、全員が発表しました。その中で学級の代表を5名選出しました。その時の選出は、こうでした。@子どもたち一人一人+私が学級代表にいいと思う作品を作った人の5人の名前を書く。A多い方から5人を学級の代表とする。B夏に発表した人がもしもう一度選ばれた場合は、もう一回やってもいいし、譲ってもいい。ということです。
私は、Bの例がたぶん起こると予想していました。夏に選ばれた人は、冬も選ばれる可能性は高いでしょう。その一方で、夏に選ばれた人は、冬は遠慮してもらうと決めてしまえば、夏に選ばれた人は最初から権利なしと告げられれば面白くないでしょう。そして、さらに、いろんな人に発表する機会を与えたいというのもあります。
さて、結果は、三名が夏に引き続いて選ばれました。MさんとS君は、もう一度やると言いました。皆さんに選ばれた結果ですから、発表する機会を生かしていくのは、むしろ好ましい姿と思います。
T君に「どうする?」と尋ねた時、「いいよ。譲っても。」と答えてくれました。今回譲ったことを美談にするつもりはないのですが、その一言がさりげなくて、実に男らしい感じがしたのです。
今回、発表の権利を譲った分、どこかで、そのご褒美をあげたいななあと思っていたちょうどそのころ、渡島児童生徒美術展の作品学級一点の募集があったので、私は迷うことなく、T君のティアノサウルスを出しました。ご家族で見に行ったというお話を聞き、私も嬉しく思いました。
私が普段、子どもたちを指導していく上で、結構こだわっていることが、「自分で考えて、決めるのは自分」ということです。「先生、教科書を忘れました。」に対しては、「どうするの?」、何かでうるさくした子に対して、「じぶんのやったことをどう思う?」っていう感じです。「今度から気をつけなさい。今日は隣から借りなさい。」とか、「今度からうるさくしちゃだめだよ。」と最初からは言いません。まず、現実を自分のこととして考え、どうしたらいいのかを自分で決めさせるようにしています。今回の譲るかどうかも、自分で決めるという私のこだわりです。
中学校に勤めていた時の進路指導の鉄則は、進路の最終決断は、本人ということです。親や学校はたくさんの情報を示し、アドバイスをしますが、最後に決めるのは自分自身ということです。
同じ決断も、自分が決めたのと周りから決められたのでは、意識に大きな開きがあります。だから、係などでたとえじゃんけんなどで負けて、希望しない係になったとしても、最後には、「○○係になったけれど、これでいいの?」という問いかけをします。
自分のことは、自分で考えて判断するということはこれからも、こだわっていきたいなあと思います。だから、夏冬続けてやるという判断も、譲るという判断も、どちらも、本人が考えてしたことで、後悔のない結論が出せたと私は思っています。