第164号 11月26日
失敗から学ぶこと 〜宿題〜
月曜日(19日)に算数の宿題を出しました。絵を見て式を立て、答えを出す問題が二問です。そうえいば、私は、めったに宿題って出していないなあと思いながら、その時、「これは宿題だからね。宿題っていうのは、やってもやんなくてもいい、いっつも配っているプリントとか百ますとかとは違うよ。必ずやってくるんだよ。」って、念をおしました。そして、私も忘れないように、子どもたちも忘れないようにと、黒板にも黄色で書いておきました。
火曜日、水曜日、そして木曜日の算数の時間になりました。木曜日は三時間目から、外仕事が入っていて、二時間目までしか学校にいられなかったので、いるうちに答え合わせをしました。
一人一人やってきているかノートを見て回りました。全員というわけにいきませんでしたが、ほとんどの子どもたちは、合っている、合っていないは別として宿題をやってきていました。
宿題を忘れてきた子たちには、たってもらいました。事情を聞きます。忙しかったということです。私は忙しかったは理由にならないと思っていますから、どれだけその日まで忙しかったか追求しました。その子たちから最後に出た結論は、「やるのを忘れた。」ということ。どう責任を取るのか、考えてもらうのですが、難しいので、「今度から、どうするのさ。」って聞いて、きちんとやるということを自分の口で言ってもらって、指導を終わりました。
私が今回で思うことは、二つ。一つ目は、そういつでも宿題はあるものではないから、しっかり意識して、絶対忘れないという気持ちを持つことです。長い間教員をやっていますが、宿題が完璧に全員揃うということは、現実は稀です。そして、宿題をやらないことへの罪悪感が乏しく、常連になっている場合も少なくありません。子どもたちには、やらなければならないことは、きちんとやるということを躾していかなければなりません。それが、人間のルールであり、信頼される人間の条件でしょうから。
もう一つは、「忙しい」は理由にならないことです。子どもたちは確かに忙しい子も多いです。習い物、塾など様々です。でも、小学校一年生の子どもが、月曜日に出した宿題を木曜日までやるのに全く手をつける時間がないはずがないのです。大人になっても、断わる理由の一番は「忙しい」です。私も人並みにまあまあ、忙しいかなあっていう毎日を過ごしていますが、何か人に頼まれて断わったことは記憶ありません。時間は生み出すものだと思っているからです。大人になって、ちょっと面倒なことは、やればできないことないのに、「面倒だから忙しいで片つけちゃう人」になってほしくないと私は思っています。ということをわかりやすく一年生に話したつもりなので、今度から、「忙しい」という理由づけをする子はいないと思います。
それで、最後ですが、これからもたまに宿題を出します。一年生で私が宿題を出す理由は、きちんと責任を持ってやる習慣をつけることです。ですから、全員がやれるようなものを出します。そして、必ずチェックして、特別な理由は聞きますが、手をつけていなければ厳しく指導していきたいと思います。