第145号 11月1日

責任をとるということ

 毎日教室では、「○○君が、たたいた。」とか「○○さんが、私の読んでいる本をとった。」なとどいう訴えが私のところに来ます。一つ一つ聞いているときりがないのですが、まず、百パーセントに近いだけ話を聞くことにしています。
 私の指導のポイントは、訴えて来た子も、訴えられた子も、ある程度気持ちが楽になれるというところです。訴えて来た子、訴えられた子、双方から事情を聞きます。そうするとだいたい事情が見えてきます。偶然、走っていたらぶつかったとか、親切にしようと思ってやったら、相手にとっておせっかいだったりとか、そういう場合は、事情がわかれば、訴えて来た子も納得することもありますし、「わざとじゃなくても、○○ちゃんがいやな気持ちしたね。」って言えば、「ごめんなさい。」が出てきます。
 「わざと」という場合もあります。最近子どもたちによく言うのは、「やった方は、忘れても、やられた方っていうのは、一生忘れないものだよ。」ということです。「ずっと、○○君に対して、『いやだなあ』って思いをもってられたらいやでしょ。」って話をします。それで、だいたい自分のやったことを反省することができます。
 一年生って純粋なところがあります。たとえ痛い目に遭っても、「ごめんなさい。」と言われると、泣いてても「いいよ。」と許してくれます。見ていて実に健気(けなげ)で子どもの気持ちって温かいとと感じる時です。
 でも、こういう指導はいつまでも続かないのも小学校の先生をしているとわかっています。自分が間違っていても言ったことを通そうとする意志も働いてきますし、謝っても絶対に許さない、仕返しをするという意思も働いてくるでしょう。
 でも、素直に聞き入れることができる、悪いことを素直に謝ることができる、そして、過ちを許すことができる今の発達段階を大切に、きれいな心を育てたいと思います。
 もう一つ。子どもたちを指導していると「○○ちゃんもやってた。」っていうのもお決まりのパターンです。大人の世界でもスピードの取り締まりで、「何で私を捕まえるの。みんな、スピードオーバーで走ってるっしょ。」という理屈です。
 私は、その理屈を最初に言ったら叱ります。「人のことを言う前にまず、自分のしたことを考えてごらん。」と。やっぱりまず、自分のやったことへの責任をとることが先です。もちろん、事情を聞いて、他にも、同じことをしていた子がいた場合は、叱りますし、「何で○○君がしかられてるのを見たら、『ぼくもやりました。』って出てこれないのさ。そっちの方がよっぽど男らしいっしょ。」って。
 「責任をとる」ということは、簡単な用で、実に難しいです。学級経営の責任、学校の責任、親の責任、保護者の責任。
 子どもたちには、自分がしたことについては自分で責任をとる。そして、自分で責任が取りきれない時は、親が責任をとって、自分を守ってくれること。そんなことを体験的に学びながら、責任ある行動することができる人間に育てたいと思います。