第136号 10月25日

じっくり、考えさせる

 以前国語は「考える力」を育てることであると書いたと思います。下の教科書に入って最初の詩の教材では、子どもたちに考えさせる場面を多く作って授業をしています。
 てんとうむしの詩では、前半に小さな虫でも命があること、後半では、もし言葉が通じたらご挨拶をするよっていう内容です。
 子どもたちには、「いのちってなあに。」(この質問は大人でもなかなか答えられませんよね。)、「一匹でもてんとうむしってどんな意味。」、「どうしてぞうと比べるの。」、「ぼく、きみってだれのこと。」「こんにちはってあいさつするってことはどんなこと。」など、かなりつっこんで聞きました。
 「国語は思ったことだから絶対的な正解はない。」などという人もいますが、私はそんなことはないと思います。筋道を立てて考えると、答えを導き出すことができると思います。
 子どもたちには、「手がすぐ上がる子と上がらない子がいるよね。手を上げるってことは大事だけど、手があがんなくても、じっくり考え照る人っていうのはとても偉いんだよ。なんだろうって頭を真剣に使って考えている間って、頭がぐんぐん良くなっているっていうことだからね。」と言いました。
 「命ってなに。」っていう質問に、「命って死んじゃったらなくなっちゃう。」「命って一個しかない。」、「一回死んじゃったら、命はもどらない。」などと答えた子に、「それでー、命って?」と突っ込みました。「命は生きてることで動くこと。」って答えた子には、「ロボットには命あるの?このラジカセには命あるの。」って振りました。ほとんど、答えにつまりますが、顔を真っ赤にして考えている子もいます。正に考える力がが育っている瞬間です。私は、即座に答えられなくても、じっと考えている、そんな時間を大切にしました。
 すぐに答えが見えるということも大切ですが、じっと考えて、また、時には答えがでなくても、ああなんだろうか、それともこうなんだろうかって頭を働かせる時間を大切にしたいと思います。

「   」の文
 国語で会話文のかぎかっこを教えたら、毎日に日記での利用頻度がぐんと高くなりました。読んでいて、作文に生き生きとしたものを感じさせるようになりました。ほんとうならば、かぎかっこの文は、行を変えるのが本当なのですが、まあ、続いても構わないことにしましょす。まず、多少文法は違っても書く力をつけるってことで。書く約束や「てにおは」は少しずつ赤を入れていっています。

子どもたちの作文から

 きょう、おばあちゃんのいえに言ってぶどうがたくさんなっていて、「とってもいい。」ってきいたら、「いいよ。」っていったので、ぼくはたくさんとりました。とてもおいしかったです。