第122号 10月11日
子どもたちの吸収力
いつも、たくさんのプリントに目を通して、お子さんへの励ましをしていただき、ありがとうございます。一枚一枚、微笑ましく見せていただいております。前にも書きましたが、毎回毎回、えんま帳(今こういう言い方するのかなあ。)には、やってきた、やってこないなどはつけていません。私としては、先生に見せるのが目的であるのではなく、子どもたちに家庭学習の習慣をつけること、そして、確かな学力がつけることが目的だと思っているからです。
と言いながらも、子どもたちが帰って、たまにその日の分を学校で付け終わって、子どもたちの机の上に戻してみると、何枚も載っているお子さんと、一枚もない寂しいお子さんがいるという現実もあります。
ここんところ、算数、国語、作文、百ますのプリントを配っていますので、お子さんにとっては、ゆるくない場合もあるかもしれません。また、習い物などで、忙しい曜日っていうのもあるかもしれません。ですから、「宿題」という形はとっていませんし、出さないからと言って、しかったりもしていません。
その一方、やる子は、宿題と理解して必ずやる(お話を伺うと、プリント以外にも通信教育や習い物などをしているお子さんもいるようです。)、そして全く手をつけていないお子さんもいそうです。
生まれてたった六年の間に、日本語という難しい言語を話し、喜怒哀楽の感情を持ち、人間関係を築くまで子どもたちは成長してきました。大人の過ごす六年間とは、物事の頭への吸収が全く違います。それは、十代の後半あたりまで、ものすごい勢いであらゆることを吸収していきます。ちょっと例えが古いかもしれませんが、レコードは一周にかかる時間は内側も外側も同じですが、情報は、外側の方がうんと入っていますよね。
そんなことを頭の片隅においていただきながら、子どもたちは、今最高に学んだことを習得する時期であるということを、ご理解いただき、おこさんの実態を見ながら、習い事とのバランスを考えながら、無理なく、しかも、家庭学習の習慣はつけるよう、ご家庭でのご協力をよろしくお願いします。
蛇足ながら、やらせ過ぎにもご注意いただき、家庭はお子さんにとって安らぎの場であるよう願っています。
子どもたちの作文から
きょう、がくどうにいくとき、きれいないしをみつけました。いろんないしのいろがありました。いろがたっくさんあっておもしろいです。かたちがやまみたいになっています。あとにじみたいになっていて、きれいだとおもいました。いしをうちにおいときます。
きょう、おじいちゃんがきました。わたしのじてんしゃをもってきてくれました。おさがりだけど、おじいちゃんがきれいになおしてくれました。おじいちゃん、ありがとう。いっぱいのるからね。