第66号 7月13日
非を認めてしかられること。
一年生を受け持っていると、「先生、○○ちゃんが、にらんだ。」「先生、○○くんが、れいをしなかった。」「○○さんがぶつかったのにごめんしない。」などと様々なことを訴えてきます。その処理に相当のエネルギー(気を)を使います。私の方針として、@よっぽど取り込み中でない限り聞き流さないこと。A言われた本人に事実関係を必ず確認することを心がけています。「○○君がそう言っているけど、あなたはどう思う?」って尋ねます。
多くの訴えは的を得ているのですが、中には誤解の可能性もありますので、確認します。ほとんどの場合、子どもは認めますので、「そういうことをどう思う。」と聞くと、「よくないと思う。」、「悪かったと思う。」ということで、私が、「そんじゃあ、どうする?」、「これから気をつけます。」とか、「○○ちゃんにごめんねします。」とかという流れになります。「じゃあ、今度から気をつけようね。」ということでおしまいです。
ちょっと大変なのは、訴えている子どもと、当事者の子どもの言い分が食い違う場合です。だいたい子どもの目をみると、嘘かホントかわかるのですが、判断に苦しむこともあります。嘘をついて認めないということが明らかな場合は、周りの裏をとって、その子に突きつけます。「○○くんも、○○さんも、あなたがやったのを見てると言っているよ。」そこまでいくとだいたい、子どもは認めます。でも、嘘をついてごまかすことは徹底して、責めますので、前段のようなさらりとした処理で終わることがほとんどです。嘘で逃げ切ることはさせないようにしています。
「何で自分がおこなれるのかわからない。」「こういう事情だったからしかたなくこうしたのに。」っていう中で、一方的にしかられたのでは、子どもにとって悔しさだけが残ってしまいます。「悪かったなあ。」と反省して、「じゃあ今度から気をつける。」っていう気持ちになるよう子どもたちに声がけしています。
一年生段階ですので、まだ、この程度で解決することが多いのですが、学年が大きくなってくると、子どもが悪いことをする場合は、その背景に何かあることが多いので、対応も難しくなってきます。
「ごめんで済めば警察はいらない。」という言葉がありますが、ごめんなさいを素直に言えることは、発達段階として非常に大切なことだと思います。
子どもたちの作文から、
子どもの思いが入っていると文に命を感じますね。
きょう、おかあさんとチャーハンをつくりました。ぼくはたまごをいためました。とってもじょうずにできました。
せんせい、あのね、きょうあかえんぴつもってきてたのに、せんせいのえんぴつをつかってみたくて、かしてもらいました。ごめんなさい。でもせんせいのあかえんぴつはこくていいな。