第42号 6月19日

「どうしたらいいと思う?」

 毎日、子どもたちと過ごしていて、いろんなことを私に報告してきます。遊んだ話、昨日どこへ行ったかという話、友だちに何かされたという話…。
 その中に、何かをしてしまったとか、何かが何々しちゃったという話も出てきます。つまり、私に「先生、何とかして。」という訴えです。子どもから話しかけられたことに対しては、「そうなの。」の一言で終わる場合もありますが、こういう訴えについては、きちんと対応していくことが大切です。
 例えば教科書やノートを忘れた場合、子どもたちの多くは(そんなに忘れる子はいませんが、「先生、教科書を忘れてきました。」って言って来ます。私は、まず、「どうして忘れちゃったのかな?」と聞きます。責任の所在を親のせいにしないためです。勉強道具を調べる最終責任は、本人にあるからです。そのことが分かったら、「じゃ、どうするの?」って聞きます。「隣から見せてもらいます。」、「先生のを貸してください。」いくつか方法はあると思いますが、その子に考えさせます。最後に、「今度から気をつけようね。席に戻りなさい。」っていう感じです。
 給食をこぼした時、おしっこをしたくなった時、具合が悪い時もだいたい同じ対応です。給食をこぼしたら、ふいて始末するのが当たり前で、おしっこがしたくなったらトイレに行くのが当たり前で、具合が悪かったら様子を見るか保健室に行くことになります。でも、それをこちらから言うことは滅多にしません。子どもたちにどうしらいいのかを考え、言わせます。「じゃあ、どうするの」っていうところを私はとても大切にしたいのです。
 「生きる」力っていうのが教育のキーワードになっていますが、そのことに触れたいと思います。昨今の世の中は高齢化、少子化、国際化、情報化などめまぐるしく変化してきました。それでこの先、子どもたちが社会に出て活躍する頃は、いったいどのような世の中になるのか。このことを非常に予測しづらい状況になってきています。その時に、自分で考え、自分で判断し、行動できることが大切です。こういう時はこうしてっていうことを教えきれないのです。その時、時に応じて、適切に行動できる子どもを育てることが大切だと思うのです。最近、指示待ち人間が多いなどという指摘がありますが、指示を仰いでから行動しなければならないこと、自分で判断して行動することも教えていかなければなりません。
 教科書を忘れたら、「時間割の調べ方が悪かったので、忘れてしまいました。今日は隣の人に頼んで見せてもらいます。」って言えるように、教えていきたいと思います。友達にぶつかったら、先生に言われる前に、「ぶつかっちゃった。だいじょうぶ。」って言ってほしいし、給食がこぼれたら、こぼれているのを見たら、「先生、給食こぼしました。」の前に、雑巾のところへ行くような子どもを育てたいと思っています。最近ちょっと、「うん、わかった。そうして。」って私がいう場面もあって、ちょっと頼もしい子どもたちです。