第41号 6月18日

水泳について

 水泳用品のちらしを見ながら、水泳のことを考えていました。一年生は、来月六日、十一日(午前中)、八月二十三日(午後)、九月四日(午前中)の四回です。公民館の裏の市民プールに歩いて行きます。
 学習指導要領では一年生は「水遊び」ということで、水に顔をつけたり、水中で目をあけたり、息を吐いたり、と水に親しむ内容となっています。短い時間なのであまり無理をしませんが、体が水に浮くという感覚を多くの子につけさせてあげたいなあと思っております。

 私が初めて浮き輪や壁につかまらないで泳げたのは小学校の五年生の時でした。いつものように駒場小学校の簡易プールで、水をパシャパシャしながら遊んでいたら、漆原先生という私の記憶ではおじいちゃん先生が来て、「そんなことしてても泳げるようにならないよ。先生が教えてあげるから。」と言われて、両手を引いてもらいながら、バタ足を何回か練習しました。何回かやって、私の両手を引く先生の手の力がそっと抜けました。壁まで、ほんのちょっとですが、自分で泳げた感覚をつかめたのです。それからは、壁に向かって、最初は一本目の線、そして一本半と、ちょっとずつ離れて練習して、水に浮くことを覚えたのです。もう四十年近く前のことですが、夏の暑い日、白い帽子をかぶった漆畑先生、そして青い帽子の「ボク」の場面が心の中に焼きついています。

 それから十数年経って、私は小学校の先生になりました。日高の山奥の小学校。一年生の担任をしていました。「経験」から生み出されることって実に大きいですね。私は一年生のうちに、病気でプールに入れなかった子ども一人を除いて、二十七名全員を泳げるようにしました。決して自慢っていうわけではないのですが、夏休みは函館に帰らないで、毎日毎日プールにいました。自分の経験から、集団で水をピチャピチャやっていてもなかなかうまくならないと思ったので、夏休みを利用して徹底して個人指導をしました。
 今の時代はこんなことできませんが、泳げない子どもを家に迎えに行ったのです。喜んで着いて来た子もいましたし、泣いて出てこなくってお母さんと一緒にプールに来た子など、いろいろでした。
 最初は、水のかけ合い、そして、ちょっと顔をつけなければならない位の深さでの石拾い、そして、それに番号をつけて、拾わせました。あと、浮いているフラフープに顔をつっこんで中から顔を出すなどします。顔に水さえつけられれば、あとは私は教える自信がありました。私が漆原先生に教えてもらったように、両手をそっと引いて二、三メートルのバタ足を何回も何回も繰り返します。そして、そっと力を緩めてやります。そうすると子どもは泳げるようになります。
 プールに入れなかった子がいたので、みんなの前で「泳げるようになったね。」などと言ったりはしなかったけど、私はとってもうれしかったし、今でも心に残る夏休みでした。そして、教育で「結果を出す」っていうことはすごく難しいことなんですが、自分にとって、初期の水泳指導はちょっと自信がついたし、今、二十台半ばを迎えている子どもたちに、私が漆原先生に教えてもらったように、「佐々木先生に教えてもらったんだ。」という思い出を心の中に持っていてもらえれば、学校の先生をやっていて良かったかなあと思うのです。
 
 ちょっと昔の思い出に浸ってしまいましたが、今年は二十三名の子どもたちとどんなプール授業が行えるでしょうか。あの頃より十数年年を重ねた私はどれだけバテないで指導できるでしょうか。今からとっても楽しみにしています。