第23号 5月17日

「国語」は何のためにやるのか。

 この質問をされたら何と答えますか。国語の勉強っていうと、漢字の練習、今の一年生でいうとひらがなの練習ということでしょうか。私もこの仕事に就くまでは、国語の勉強=漢字位にしか考えていなかったかもしれません。家でやる国語は漢字練習って感じでした。
 そろそろ答えを出しましょう。国語は「考える力」をつける教科です。一年生は一年間に○時間、六年生でも○時間の国語の勉強があります。「なんも日本語ちゃんと話せるんだし、国語なんているのかなあ。」という素朴な疑問もあるかもしれません。でもそれぞれの教材を読み、そこに描かれている主題をきちっと筋道をたてて考えていくことがとても大切です。今も授業の中で、「それ、何て言ってると思う?」、「どうしてそう思う?」って考えさせることを意図的にしているところもあります。
 大人になって、人が苦しんでいるのを見ても、「かわいそう。」しか感情がないのでは、それこそかわいそうです。「どういう状況なのかな。」、「相手はどんな気持ちかな。」、「今助けてあげるのがいいかな。自分でやらせた方がいいかな。」、「自分はこの人にどうしてあげることがいいのかな。」と考えられる人になることが「考える力」なのだと思います。
 今、けっこう力を入れているひらがなはそのためのツール(道具)です。考えたことは表現しなくてはいけません。そのひとつの手段が文字で表すということです。ふだんの会話も頭の中では思考回路が働いていますが、書くということは、それ以上に筋道を立てて考えなくてはなりません。ある程度文字が書けるようになったら、私は、ただ、口で発表するだけではなく、「どう思うか書いてごらん。」という場面を作っていきたいと思います。
 自分のことを言うと、今は、「書く」ことは全く苦になりません。教員になる前は、ほかの多くの人と同じように、「原稿をお願いします。」って言われると思わず逃げたくなりました。パソコンと出会い、思ったことを筆記用具で書き留めるよりずっと速く文字にすることができるのも大きな一因ですが、その昔、一年間一度も休まないで学級通信を書いたなどという変な記録も、文を書くことに抵抗がなくなった理由なのかもしれません。こうやって今、毎日の子どもたちとの生活を振り返りながら、文を綴るのも自分の教員としての姿勢を考えるのに役立てっているのですね。
 話が書く方にそれてしまいましたが、おうちでも、イエス、ノーで答えられるものだけでなく、「どう思う?」、「どうしてそう思ったの?」、「○○ちゃんはどういう気持ちだったと思う?」などと子どもの思考回路を働かせるようなコミュニケーションを工夫してみるのもよろしいかと思います。